Creative Talks
PLAZA 3
トーン&マナーを創る愉快な仲間たち
D&DEPARTMENT OKINAWA by PLAZA 3の
定期ミーティングをのぞいてみました。
沖縄のこと、路面店のあり方、プラザハウスについて
それぞれの立場で語るこれからのお話。
比嘉 祥(ミックス)
ナガオカケンメイ(D&DEPARTMENT PROJECT)
平良 由乃(プラザハウス)
外からの視点で沖縄を見つめて
平良由乃(以下平良) MIX life-style(以下ミックス)を創業した比嘉さんが、ナガオカケンメイさんのD&DEPARTMENT PROJECT沖縄店(以下d)を立ち上げました。プラザハウスに移転して3年、昨年は沖縄店10周年でしたね。比嘉さんは素晴らしい編集能力を備えた人だなと、ずっと尊敬しています。
比嘉祥(以下比嘉) ミックスを立ち上げた当時、沖縄ではまだ欲しいものは雑誌の中の世界。もともと建築の仕事をしていたので、いい家を造ってもその中に納めるにふさわしいインテリアが沖縄ではそろわなかったんです。その後、ナガオカさんと出会って、改めて沖縄の良さを意識して探したり、見つけようとするようになり、ミックスの中にd沖縄店をスタートしました。
ナガオカケンメイ(以下ナガオカ) 沖縄店をきっかけに沖縄に通ううちに、アパートを借りてもう10年目になりました。以前、d design trave(※1)沖縄号を作ったんですね。
ちょっと余談ですけど「美術館を造るのは簡単だけど、博物館を造るのは難しい」という話があって。博物館がなぜ大変かというと、あれも入れたいし、これも入れたい、あれは入れるな、これは歴史と違うみたいなことで中身が決まらない。トラベル誌を作るというのは、僕の中ではそういう行為で。
沖縄に関しては戦争をどんな切り口にするか、ひめゆりの塔はどう編集したらいいかなと考えた時に、読んだ若い人たちが前に向かって進めるような希望を込めたかったけど、そのさじ加減が本当に難しかったですね。特に表紙は悩みました。トラベル誌が売れそうかどうかではなく、僕たちの中で、沖縄の印象はこうあってほしいという願いがある。だから、沖縄に来たよそ者としてやるべきことに興味があります。
知れば知るほど沖縄ってすごいなと思うんですよ。日本を代表する観光地でありながら、伝統や文化みたいなものをしっかり守って継続できているのは、どこかツンデレで、観光客に向かって「ふんっ」ていわないといけないところもあり、そこにすごい感動するし、関心があります。
流れを見極めて提供するもののあり方を決める
比嘉 この20年間で時代は変化したなと感じますね。家を建てたいという方の意識がまず高くなっています。若干背伸びをしてでも、いいものを選んで、徐々にそろえていこうみたいな。買い物の仕方と時代の節目は、ものすごく関係があると思います。東日本大震災を境に動くテイストがガラリと変わりました。デザイナーズのイタリアモダンからナチュラルな天然の木製とか。
情報が拡散するスピードは、SNSやメディアの力も大きいかもしれません。沖縄は少し前までは、東京より3~5年遅れているといわれていましたが、今はもうタイムラグはないですね。
平良 プラザハウスはドラスティックに変化した企業だと思います。まずは経営者が外国人だった、お客様も外国人だった。それからガーっと観光客へと変わり、今は地元のお客様。世代だけではなく人種も変わった。創業当時は沖縄に住むアメリカ人のために家電やタイプライター、タバコ、アジアの民芸品など、それから免税店、土産品店と し て 香 水 、化 粧 品 、ブランドのバッグを取りそろえます。
舶来品が免税で購入できる観光土産品店として、本土から観光客が団体バスでわんさかやってきたようです。
アメリカ人が経営者だったロージャースは、創業当時からヨーロッパのファッションが主体で、アメリカのTシャツやトレーナーなどは少し後から店頭に並び、日本で初めてリーバイスジーンズが売られたのはロージャースと聞いています。
香港が中国に返還されるタイミングで、私の父、平良幸雄が経営を引き継ぎ社長になりました。ちょうど日本はバブル絶頂期。東京から呼び戻された私は憧れのロージャースに入社しましたが、そのころの顧客はきらびやかなマダムたち。自分が着る服を見つけるのに苦労した覚えがあります。
那覇空港が新しくなり、首里城や美ら海水族館が整備されたころ、ブランド商品調達に有効だった観光戻税制度が終了しました。プラザハウスの店頭から次々とブランド品が消えていき、観光客を誘致するための斡旋料はどんどん高騰。たくさんのお客さまは旅行社が運んでくださったもので私たちはどことも誰ともつながっていなかったことに気がつきました。愕然としました。何十年もあれだけたくさんの人がいたのに、顧客リストの一つもない。ブランドメーカーもプラザハウスのことを知らない。
これからは、商品の作り手ともお客さまともしっかりとつながるビジネスに変えていかないとだめだと思い、直接、海外へ行き始めました。著名なブランド品と比べ、わかりにくい、つまり売りにくい商品ばかりを取りそろえているかも知れませんね。でも、良いものであることは確かですよ。
Yasushi Higa 比嘉 祥
Kenmei Nagaoka ナガオカケンメイ
Yoshino Taira 平良 由乃
ものを買う、売る。リアルだからできること
平良 商業施設のあり方についてとても悩んだ時期がありました。広い無料駐車場、出入り自由のエントランス、買い物に来たわけではないけれど、毎日プラザハウスに足を運んでくれる人たち。すれ違う人にあいさつをしたりおしゃべりをしたり。そうか、ここは公園なんだ、私たちがやり続けていることって、実は究極のヒーラーじゃないのかなって思ったんです。
売れるものを集めてくる商売じゃなく、商品を手に取った方に作り手の思いや物語を伝え、贈る相手の喜ぶ顔が浮かぶような品ぞろえをしていけばいいのかなって。あなたがいるから来るよって人たちが、もっと増えたらとても素敵。
だけど、これは一人ではできないことです。お家賃さえいただければいいっていう大家さんじゃなくて、一緒になって何かを作れる仲間が必要だと思いました。
ナガオカ 僕の周りの人たちは、わりと仮想空間(メタバース)で商売をしているので、ここ2、30年のうちに実店舗と仮想空間が共存して、経済はますます仮想に進んでいくだろうと思っていて、だけど路面店がやるべきことはたくさんあって、本をネットで買う人は多いけど、書店の重要性は確固たるものがある。バーチャルを恐怖に思うだけじゃなくて、路面店でしかできないことに僕はすごくワクワクしています。
プラザハウスを長く続けて、常に前を向いている平良さんに人は集まるし、誰かを連れてプラザハウスに行きたいと思うその人は、仲間になっていく人たちじゃないかな。
平良さんが公園みたいなと表現されていましたけど、ここが元気にならないとコザも元気にならない。僕たちはテナントだけど、みんなでフロアを考えていくとか。プラザハウスはそういうことも許容するし、歓迎してくれるじゃないですか。閉店の時間があるけれど、それ以降は好きにしていいよとかいわれちゃって、そんなことあるんだってびっくりしました(笑)。
沖縄のゆんたくに代表される、用事のない人でも来ていいんだよ、その許容感がプラザハウスという場所の力としてありますよね。みんなで何かしたいと思うスキマをちゃんと作ってくれてるところが、とてもおもしろいです。
比嘉 店の役割を変化していくってことだと思うんですけど、僕たちはネットでは提供できない商品やサービスを考えていかないと、と思っています。じゃあネットで提供できないサービスはどんなものかを自分の暮らしで置き換えてみると、最近だと、ちょっと冷え込んだ日に、熱いシャワーに打たれた瞬間に、いろんなこと忘れて本当に幸せなんです。ベッドで横になる瞬間のなんともいえない心地良さ、肌触りがめちゃくちゃいいタオルケットにくるまれる瞬間の幸福感みたいなことが結構あって。
こういう瞬間を意識するようなインテリアやプロダクトだったら、アプローチはまだまだあるなと。空間に置き換えると、最上の眠りを提供するベッドルーム的な、音楽と香りの組み合わせとか、自分に没頭する最高の瞬間というアプローチ。
ナガオカ いいものをいいと思える知識があるのは大事。「感動するにはお金がかかる」と誰かがいってましたけど、自分の心を養わないと感動しないわけだから、横で涙を流している人を見て、なんであんなのに感動するの?って思っちゃわないようにしないと。
僕は基本的に、人は買い物をしたいし、新しいものが欲しい、と思う。だけど、消費が活発になりすぎると環境にも負荷がかかると考えた中で、みんながそういう環境を共有しながら、ものを買ったり、新しく作ったりする刺激は絶対だと思う。店があって、売ってお金が入るってことじゃない状況にしようと、みんなが思うことがすごく重要かな。
愛知県の店の前に汲み取りトイレの外の上物を移築して、3畳ぐらいの貸しギャラリーを作ったんです。ちっちゃいからできることを考えていたら、河瀬直美監督(※2)が「ちょっとしたこと」って名前をつけてくれて。店やギャラリーを作るとなると、すごく大きなことをイメージするけど、「ちょっとしたこと」ってやっぱりあって、自分の気づきも含めて何かが刺激されて、何かが起こるかもっていうのはあるかな。
平良 例えばスペックにのって何かが作れる、資金さえあれば大きいことできるよねとか、そんな時代ではない。私たちは今、ウェルビーイングという言葉を使っているけれど、ナガオカさんはずっとそれをやり続けていますよね。
人生いろんなことがある。震災があったり、頼っていた人が離れていったり、何かが急にパチッと切られたり。でも今までと違う発想が生まれてくるのは、意外にそんな時ですよね。そのトイレの屋根、え、それ壊すの?そのきっかけをどう膨らましていくか、そういうクリエイトが皆さんとのおしゃべりから生まれる気がします。
プラザハウスが提唱する「旅するように生きる」ってたぶんそんなことかも。朝、何を着ようか、髪型はどうしようか、何を食べようか。その一瞬一旬を大切にする気持ち。何かを感じシェアできる場所にプラザハウスがなればいいかな。幸せの伝え方って経済だけじゃない、いろんなアプローチがある。若い人たちに人生楽しいよっていえる大人でありたい、だからまた口紅つけたり、お洋服新調したりしてね。
これからのプラザ 3共有していきたいこと
ナガオカ 民族学の宮本常一氏を取り上げたラジオで聞いた話で、昔は村で問題があったら集まって話し合うんだけど、歴史のある集落であればあるほど、答えは出さないんですって。コンセンサスを取ることが重要で、答えを出すことが大事ではない。
多数決って、集団の答えを出す時に使われる手法だけど、暴力だって。みんなでやっているようなふりをして、嫌な人もいるのに実は強制的に決めてしまうのは良くない。
プラザ3も一緒だと思いました。集まって何かをやろうって話にはならないんだけど、定期的に集まって、話をしてコンセンサスを取る。ここを良くしていきたいというベクトルは共有するけれど、具体的に答えを出さないっていう。それはすごい重要だなと思っています。いつかのタイミングで、得意なことを持ち寄って何かが起こりそうな。
平良 その話はすごく素敵。情報は共有しながら、皆が同じでなくていい、それぞれの得意、特徴を生かすということですよね。
最近、沖縄経済について話を聞く機会があり、年間1000万人の観光客が来る沖縄を平均値で語ろうとすることにとても驚きました。沖縄の優位性を多様な面から考え、いろんな魅力が生まれるはずなのに、一色単に答えを導こうとする。そうではなくどうやって沖縄らしさを表現していくのか、作り上げていけばいいのか?を今、共有しました。
※1 47都道府県それぞれにある、その土地に長く続く個性やらしさを、デザイン的観点から選び出し、まとめたトラベルブック
※2 生まれ育った奈良を拠点に映画を作り続ける映画作家。一貫したリアリティの追求はドキュメンタリーフィクションの域を越える。2025年大阪・関西万博プロデューサー兼シニアアドバイザー