Company | PLAZA HOUSE SHOPPING CENTER
会社概要
名称 | 株式会社 プラザハウス |
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所在地 | 沖縄県沖縄市久保田3丁目1番12号 |
電話番号 | 098-932-4480 |
FAX番号 | 098-933-7511 |
資本金 | 3,000万円 |
代表者 | 代表取締役社長 平良 由乃 |
従業員数 | 120名(契約社員含む) |
事業内容 | 小売業、レストラン経営、卸、輸出入貿易、イベント企画・制作、ショッピングセンター運営、不動産賃貸等 |
主な卸販売 | ザ・テラスホテルズ株式会社/リウボウインダストリー株式会社/ムーンホテルズアンドリゾーツ株式会社/ルネッサンスリゾートオキナワ/株式会社沖縄県物産公社/株式会社沖縄物産企業連合 |
取扱商品 | ヨーロッパ、アメリカなどからの直輸入高級有名ブランドファッション/時計/洋酒類/香水/ライター/万年筆/皮製品/東南アジア民芸品及木製品/外国製各有名ブランド/紳士用及び婦人用アクセサリー/服飾品/リゾートウエア/沖縄民芸品/外国製及び沖縄製お菓子類/化粧品/高級紳士用及び婦人用靴/ハンドバック/ランジェリー/音楽CD/食品/ステーショナリー/輸入書籍 等 |
特約店 | GUERLAIN/ HAWAIIAN HOST(チョコレート)/CATHERINE ANDRE/BALLY /PARKER(万年筆・ボールペン)/DESIGUAL/OLEA ESSENCE/CHLOE |
関連会社 | A&W沖縄株式会社/イバノ株式会社/アジアペイント合資会社/ローヤルトレーディング株式会社 |
会社沿革
1945年 | 4月1日、米軍は沖縄本島の北谷、読谷海岸より沖縄へ上陸してきました。 上空より、最もライフラインのしっかりした場所を定め、米軍の琉球軍司令部(RYUKYU COMMAND)を設置したのが、その名もライカム(RYCOM)と呼ばれる沖縄市の南の玄関口にあたるエリアです。 元泡瀬ゴルフ場跡地、ライカムハウジングエリアは今も当時の姿を残し、フェンスの向こうには、まるでカルフォルニアのような広々とした芝生のグリーンが続きます。アメリカ人のライフスタイルは、戦後何もかも失った沖縄の人々の目に、それこそ驚きと憧れと夢のようなシーンに写ったに違いありません。 |
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1950年8月 | 創立者ロージャー・C・ウイリアムズは、東京都港区芝田村町に化粧品、ジュエリー、プレタポルテ、シューズなど多彩なインポート商品を取り揃えたロージャースを開業。マッカーサー夫人をはじめ軍高官夫人、皇族、財界人、芸能人など多数の方々が来店され、国際色豊かなロージャースの基礎を確立しました。 |
1953年9月 | 株式会社プラザハウスの営業拠点であるプラザハウスショッピングセンター設立時の母体法人ローヤルトレーディング株式会社が香港で設立される。 |
1954年7月4日 | アメリカ独立記念日に華々しく誕生したのがPLAZA HOUSE SHOPPING CENTER。 店舗の前に広がる大きな駐車場。 琉球政府より特別免許を取得、主に在沖米軍及びその家族を対象とした営業を開始しました。 前述したロージャースは、東京より米軍基地の中心であった沖縄のコザ(ライカム)に移転。すでにレストラン、ギフトショップの営業をしていたプラザハウスとともに2つの店舗の間を連ねるように新しい店が立ち並び、現在のプラザハウスショッピングセンターの原型が誕生しました。 米軍占領下に誕生した典型的なアメリカ型モール。沖縄の強烈な陽射しを避ける低くて深い塀、人々をリズミカルに回遊させるジグザグ型の店の並びはあまりにモダンで当時の人々を魅了します。 回廊にはギフトショップや当時では珍しいレコードショップ、アメリカ製の家電販売店、そしてJALをはじめとする航空会社の沖縄支社が軒を連ねていました。 |
1959年1月 | ロージャース経営者ロージャー・シー・ウィリアムズ氏帰米のため、チャールス・シー・ション氏が経営を引き継ぎ、プラザハウスの姉妹会社になる。 |
1960年 | 戦後最初の日本からの観光団来沖以来、唯一の外国商品専門店のショッピングセンターとして各旅行会社のショッピングコースとなった |
1962年 | 沖縄で初めてオープンした本格的なホテル「琉球東急ホテル」内にプラザハウスがテナントとして売店を開設。 ホテル内売店のパイオニアとなる。 |
1966年 | 1966年7月からは、外資導入免許に切り替えられ、地元客にも商品販売を行うことができるようになりました。 |
1972年 | 戦後22年を経て迎えた日本復帰後、復帰措置法の一環として制定された観光戻税承認店に指定され、洋酒、香水、時計等の戻税対象商品、外国商品を中心に沖縄民芸品を取り扱うようになり沖縄観光旅行におけるショッピング施設としてパイオニア的存在となる。 一方、ロージャースはインポートファッション専門店として、プラザハウスに隣接する中華レストラン月苑飯店は、県内でも屈指の広東料理専門として名を馳せ、多くの地元客に支持されるようになる。またショッピングセンターの運営とともに、ホテルショップの営業も開始。昭和49年、都ホテル内ショップ開設にあたり、日本法人として株式会社プラザハウスが設立される。 |
1977年 | 代表者チャールス・シー・ション氏がカナダにて病気のため逝去。 |
1977年 | ジミー・ケイ・チー氏、代表取締役社長に就任。 |
1979年 | 代表取締役社長 ジミー・ケイ・チー氏辞任。 ヤン・クーン・ユ氏、代表取締役社長に就任。 |
1986年 | 平良幸雄、代表取締役社長に就任。 |
1997年 4月 | 創業45周年記念事業として立ち上げた施設増設計画にともない、アールシーウイリアムズ、ロージャース、ローヤルトレィディング株式会社を株式会社プラザハウスに統合、1997年4月、約50億円(自社・テナント)の投資により、PLAZA HOUSE FAIR MALLを増設、培った歴史と上質の顧客を礎にTHE ONE & ONLYをコンセプトにインターナショナルでユニークな商業施設を目指す。ショッピングセンターのデベロッパー事業とともに直営店(飲食・物販・ホテル・食材販売)と業態が多岐にわたる。 観光客、地元客、さらに在沖外国人の利用も多くバラエティ豊かな顧客を持つのが特徴。 |
1999年 | 1954年オープン時の建物と増設した施設の融合や、沖縄の豊かな自然を体感できる県内初のオープンモールが評価され、1999年通産省後援システムコンペティション入賞。 8月にはプラザハウス創業45周年を記念し、「音と踊りと食の祭典・バリフェア」を開催。インドネシアバリ島から約50名の舞踏家やバリ料理のシェフを招聘し、両地域の文化交流を盛大に開催した。 |
2009年 | 平良由乃 社長就任。平良幸雄が会長に就く。 創業55周年を迎える。 |
2014年 | 60周年を迎え、記念イベントとして「Welcome! Rycom! Plaza House 夏BINGO!」を開催。 8月末の2日間にわたり、全テナント店舗と連携をとりイベントを実施した。 経済産業省主宰 商店街自立支援事業の一環として、「GATEWAY TO RYCOM ANTHROPLOGY」の事業が採択される。ショッピングセンターの玄関口においての大型のデジタルサイネ−ジの設置、および「RYCOM ANTHROPOLOGY」という琉米文化写真展示、ミッドセンチュリーをコンセプトにしたギャラリー&アンテナショップの設立に取り組む |
2015年 | 3月に 「GATEWAY TO ANTHROPOLOGY」の事業が完了。デジタルサイネージの稼働開始、およびフェアモール3階にて新施設「RYCOM ANTHROPOLOGY」オープン。 また、4月には那覇市にあるデパートリウボウの地下食品フロアにて、プラザハウス直営レストラン月苑飯店の姉妹店となる「月苑坊」をオープン。 |
2015年 7月 | 関連企業であった パークサイドハウジングカンパニーと合併。株式会社プラザハウスとして、あらたに建築業の業種が加わる。 |
8月 | 上記事業に加え、衣食住、及び学習施設を目的としたテナント数計41店舗。及び直営店となる輸入アパレル店Roger’s、ステーショナリーショップClick!、ギャラリースペースを併設するRycom Anthropology、広東料理レストラン、月苑飯店を運営する。 |
2016年7月 | 羽ばたく商店街全国30選に選出される。 地域の特性・ニーズを把握し、創意工夫を凝らした取り組みにより、 地域コミュニティの担い手として、地域の発展に貢献している中小企業が全国より選定され、取組事例の情報発信を通じて、より多くの中小企業・小企業事業者・商店街が様々な分野で活躍しそういった取り組みが日本経済のさらなる成長につながることを期待され、経済産業省より「全国はばたく商店街30選」に選出され、表彰を受けた。 |
2018年 | 沖縄出身の国民的歌手である安室奈美恵引退を記念し、全国4箇所(東京、大阪、福岡、沖縄)で同時開催された展示会「Namie Amuro Final Space」の沖縄会場として、8月3日から引退の日9月16日にかけて、プラザハウスGallery & Spacにて開催される。45日間で約10万人の来場者が県内外、国外から来場した。 |