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大田 エコ1

Haは呼吸、waiは水、iは魂。
ハワイを愛した、ナオペからの贈り物

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大田 エコ

沖縄で生まれた私は、日系ハワイアンたちと家族同様に育ったこともあり、小さいころから海が大好き。ティーンエイジはサーフィンに夢中でした。フラも少しはできたけれど、好きではなかったのね。パーティでフラを踊れっていわれるのが嫌で、わざと着物でお出かけしたり。

ある時、「友人のお母さんのパーティがあるから一緒に行こうハワイからフラの有名人が来るみたいよ!」と誘われたお宅で、アンクル・ジョージ・ナオペと出会いました。ピンクのスーツに、淡いピンクの帽子をかぶったおじいさんが、広い畳間のお膳の前に座っているのだけど、真っ黒すぎて顔も表情もわからなかったわ。そのおじいさんが「君もフラできるの?」って聞くから「ちょっとだけね」って答えると、「ウクレレを弾いてあげるから踊ってごらん」と。少しだけ踊ってみたら、「次にハワイに来る時は、僕を訪ねておいで」って。

ナオペがハワイの人間国宝だと知るのは、もっと後のこと。2月14日バレンタイン、沖縄の東の端っこ、屋慶名でのひと時でした。

当時、沖縄でサーフショップを経営していた私は、偶然にもナオペと会った翌週に買い付けでハワイに行き、彼が毎日ショーに出ているというホテルを訪ねたの。

舞台ではウクレレを弾く彼と、フラを踊る男の子と女の子二人の手の動きがとってもきれいで、今まで私が習ってきたフラとは全然違うので、思わず見惚れてしまいました。楽屋へあいさつに行くと、なぜか翌朝8時にナオペの家に行くことになりました。サーフィンを満喫するつもりでハワイに来たのに(笑)。

家に行くと、ナオペがパフドラムを叩きながら歌い始めました。今まで聞いたこともない音、そして言葉。初めて触れるハワイ語でした。私もパフドラムにトライすると「あれ?なんか、これ知ってる!」。すぐに夢中になりました。

昼はレッスン、夜は彼をホテルまで送ってショーを見るという生活を繰り返し、あっという間に一週間。

「ダンサーを目指すなら怪我をしてはいけないよ。僕からフラを習うなら、サーフィンをやめてもらえないかい?」と。フラのおもしろさに魅了されていた私は「うん!」と即答していました。

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そこから師匠と弟子の関係がスタート。

ある時、那覇空港まで彼をお迎えに行くと、スタスタと外へ出て植栽にお祈りをしているの。「沖縄の神様、僕を受け入れてくださいね。ありがとうございます」って。

来沖の際はわが家に滞在していました。当時私はダルメシアンを飼っていたのですが、彼は犬が大の苦手。「絶対にだめだよ~」といっていたのに、すぐに仲良くなって、ダルメシアンは彼の後をずっとついて回っていました。彼は私にカメラを買わせて、毎日犬だけを撮影していました。

ある朝、ナオペが「友達でフラを習いたい人がいたら呼びなさい」というので、友人たちに電話をしました。皆、彼がハワイの人間国宝だなんて知らないので、「おじいさん、ウクレレ上手だね、これからも続けてよー」って、気楽にワイワイと楽しい時間になりました。その時に集まったメンバーがのちに私の生徒さんになりました。

ナオペはとてもチャーミングな人でしたし、人間力に加えてプロデュース力にも優れていましたハワイの大会でフラを終えた私の生徒たちに、踊り終わったらある歌を歌いなさいっていうの。生徒たちが歌い終えると会場から大歓声。その歌は近くの小学校の校歌だったのです。はるばる沖縄から来た生徒たちを、ハワイの人に受け入れてもらうにはどうしたらいいのか。とても愛のあるアイデアがひらめく人だったわ。

ハワイには昔、文字がなかったので、フラは言葉や思いを伝える伝達手段でした。ナオペのフラは彼だけのメッセージです。今、ナオペはキラウエアに眠っています。師匠を失った時、フラをやめようかと思いましたけど、今はアンクル・ジョージ・ナオペからいただいたメッセージを沖縄に残したい、そう思っています。

踊りってからだで覚えているつもりでも、忘れてしまったり、少しずつ変化していくことがあるの。だから私は生徒たちに踊りをばらまいている(笑)。人に教えることで伝統を守り、生徒からまた教え戻してもらうのです。

今、トレーニングしている生徒たちが、ハワイのクムフラ(ハワイ文化を継承し、指導する人)たちに認められて、フラの継承者として認められるよう、私もまだまだがんばらないとね。

私のハラウ(スクール)が別の場所にあった1997年、「プラザハウスフェアモール」のオープニングイベントで、私たちのフラを披露させてもらったのですが、その時、ユタ(沖縄のシャーマン)から「あなたの横に派手な帽子をかぶったおじいさんがいる」、と指を指されたのです。ナオペはまだハワイで元気に生きていたのに!その数年後、ご縁があって平良由乃社長からプラザハウスでのハラウをお誘いいただいたのですが、なんとその部屋は、ユタが指したまさにその場所。すべてが不思議なご縁でつながっています。

Ekko Ota 大田 エコ

プラザハウス2階のHālau Hula Kalākaua主宰。2000年、マスター・クムフラのジョージ・ナオペ師よりナークム・パラパラ(クムフラの認定証)を授与。電話:098-878-5654 定休日:日・月曜日 https://halau-hula-kalakaua-okinawa.net/

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