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自分のために選ぶ服。/PINK HOUSE

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自分のために選ぶ服。CUTENESS IS IN YOU FOREVER

移りゆくどの時代のトレンドにも惑わされることなく、30余年の間変わらぬ世界観を貫くブランド「PINK HOUSE」。
大きなフリル、細かなレース、花柄プリント、パッチワーク。乙女心を集大成したような洋服はしかし、実は大人の女性が堂々と着こなすことで圧倒的な存在感を放ち、愛らしくかっこよく、言うまでもなく、美しい。

日本服飾文化を代表する、唯一無二のブランドとして。
ピンクハウスが誕生したのは、日本が好景気に包まれ、とりわけファッション業界が最も輝き活発であった1980年代。
デザイナー・金子功氏の創造の源は中学生の頃に初めて見た映画『風と共に去りぬ』だったという。スカーレット・オハラ役のヴィヴィアン・リーが纏う衣装に心奪われた少年が、のちに日本を代表するファッションデザイナーとなったのだ。数々のDCブランドがデビューした中、異端児到来のような衝撃は新たなファッションアイコンに。
ピンクハウスはイラストレーターの大橋歩氏や、当時のトップクリエイターであるへアメイクアーティスト・伊藤五郎氏にインスピレーションを与え、共にブランドの魅力を発信し、瞬く間に日本を代表する唯一無二のブランドへと成長した。1994年、金子功氏がブランドを離れた後も、創作の軸は失われることなく、現在は「元祖ニッポンカワイイ文化」として海外の服飾業界においても注目されている。

「本当に好きなもの」に再会する服。
さて、プラザハウスにあるピンクハウスもここ沖縄で20年以上の歴史を共に紡ぐ。上品な木の温もり、古き良き物語のワンシーンのようなエントランスがひときわ目を引く。実はモデルという肩書きを持つ店長の赤嶺さんも、もうすっかり沖縄ピンクハウスの〝顔〟となって、お客様をお迎えする。
「ピンクハウスファンの方は年齢を重ねながらブランドへの愛情を深めてくださる。2世代、3世代と家族でお店にお越しいただくお客様も少なくありません」と教えてくれた。一方、これまで仕事や子育てに追われ、本当に好きな服が着られなかった女性が職場をリタイアし、念願かなってピンクハウスを着始めるというお客様もいらっしゃるそうだ。
「ブランドのコンセプトは〝LEAVE ME ALONE〟。これは『着たいと強く思ったとき、その服はあなたの服。着て嬉しい気分になれば、あなたはその服を誰よりもうまく着こなしている』という、服と人との特別な関係性を示唆しています。人の目を気にするのではなく、心地良いから、自分らしくいられるからというきっかけで、ご自身のために着る服であってほしいのです」。
これは、お客様の「着ているだけで心が優しくなれる。癒される。」という声や「人生の最後に必ず着たい」という言葉に導かれた、赤嶺さんの思いである。
「今、ファッション業界は厳しい時代を迎えていると言われていますが、愛情揺るがぬファンの方に支えられているのはブランドの誇りです。しかし同時に、デザインの個性だけではなくて、質の良さ、縫製技術の高さこそ、より多くの方に知っていただきたい」。

新しい日々へと扉を開く。
1997年のプラザハウス店オープン当時のまま、ピンクハウス独特の雰囲気を演出したパイン木材によるお店の内装が保たれているのは、今や日本中で当店のみ。
店内面積も広く展開されるワードローブは夢心地の別世界。優しく優雅に流れるひと時を過ごすことができる。赤嶺さんは、ブランドのDNAがしっかりと受け継がれるこの空間で、守るべきものを追求しつつ、新たな魅力を発掘し伝え続ける。
「ぶれないアイデンティティを持ったデザインだからこそ、着る人の個性を引き出す服。また、〝変わりたい〟と願う人を、新しい世界へと導いてくれる服でもあると思うのです。着る楽しさ、服が好きという心がより深くなっていく。良いものを着たい、という思いは時代を超えてずっと、大切に持ち続けていたいものです」。

PINK HOUSE
1972年、デザイナー金子功によってブランド初のコレクションが発表される。1982年(株)ピンクハウス誕生。翌年には初のショーを開催。当時黒づくめだったトレンドに衝撃を与え、一挙にコアなファンを創出。日本国内外に市場が広がるが、1994年、金子功が退社。2000年以降もイラストレーターや多彩なデザイナーとのコラボレーション商品を展開し、幅広い年齢層のファンに愛される。現在は(株)メルローズが運営。
プラザハウス店:フェアモール1F 098-930-6260

※ 本稿はロージャースの月刊誌「rg5月号」に、フェアモールの周年記念として特別掲載した記事になります。

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